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消失を彷徨う空中庭園

消失を彷徨う空中庭園

第三章 回想

 サラは一人で研究室に鍵をかけてこもっていた。研究員は国からの予算で破格の待遇を受けていた。予算や設備がここまで潤沢にそろっている機関は少ない。サラのような者にまで個別の研究室を与えられているのも希有なことだ。
 サラは古いファイルを取り出した。ファイルにも鍵がつけられている。その古さにもかかわらず、まだ世界でも最新の機密情報が詰まった貴重な記録だった。サラはその昔の記録を開いて思い出していた。

 サラの父も研究者だった。趣味で登山をやっていて、世界中の山を渡り歩いて植物の生態について調べていた。トーマス・コールマンといえば、聞こえは平凡な名前ではあるが、その世界では少しは広い名前だった。
 サラが中学の時、父だけの都合で急にフロリダに引っ越すことになった。地元の登山家の間で、謎の花畑の話が噂になっていたらしい。これは、大発見になりそうだと父は意気込んでいた。それがどんなものかは誰も知らなかった。
 登山者の行方不明者は続出していた。後から調べた記録でも一ヶ月に八人もいた。それが続いてた。だが、トーマスはそんなことには無頓着だった。だから、家族でピクニックに行こうと、言い出したのだった。
 ファイルを開くと、それは八月十日の日付になっている。
 そうだ。あれは夏の日だった。夏休みだからそんなことを言っていたのだ。
 山の中腹にある小屋で、父は熱心に情報を集めていた。そして、見当をつけて登山道からはずれて進んでいった。なんと目的の花はすぐに見つかった。だが私はそれを見たとき、どうしてか怖いと思った。
 父が花畑に吸い込まれていく様を、私は足を止めて見ていた。父は、ぶつぶつと独り言で難しい理屈で分析をしはじめて近づいていき、ついに白い花を採取しようとした。まるで、引き寄せられたかのような動作だった。葉っぱを一枚ちぎった瞬間、花は震えだした。そして、歌うかのように耳障りな高い音が聞こえた。私はとても不快だった。父はその場に倒れた。
 私は体が動かなかった。どうしてだろう。きっと動こうと思えば動けたはずだったのだ。と、今でも思ってる。だが、それで正解だった。
 代わりに母が駆け寄った。そして、駆け寄る前に崩れ落ちた。
 そして、私は見た。花が歩くのを。
「サラ。いる?」
 ドアのノックと、その声で私は我に返った。ファイルを閉じた。
「誰? 急用かしら」
 言いながら、ファイルに鍵をかけ、棚の奥へと素早く追いやった。
「博士が新しい資料が届いたから、みんなで考察するから呼んで来いって」
「そう。ありがとう」
 それなら、行かなくてはならない。声の主は岡崎だ。田島を教授と呼ぶのは、一番付き合いの長い岡崎しかいない。この男は、博識で頭も良いが研究者の割に好奇心が薄く見える。有能な割に、身の振り方も下手だ。だけど、対照的な千代田と仲が良い。
 サラは鍵を開けると、岡崎と会議室に向かった。


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